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column 京都「人生がラク」になるイイ話

ああ自己嫌悪…
そんな時こそ親鸞聖人の「絶対他力」

※当コラムは親鸞聖人のヒューマンストーリーを通じて、ビジネスパーソンへエールを送ることを目的としています。「他力本願」も一般的な理解で書いております。

ああ!自己嫌悪……

 チャンス到来! と思って全力を尽くしたつもりが、力及ばず失敗に終わってしまった。そんなときは、どうしようもない自己嫌悪に陥ってしまいます。たとえば、こんな場合……。

1.ようやく得たプレゼンの機会。なのに、うまく説明できずに失敗した。
2.必死で勉強して挑んだ資格試験。なのに、寝坊で遅刻してしまった。
3.昇進後、初めて公の場であいさつ。なのに、緊張してうまく話せなかった。

 このようなことが起こると「ああ、なんて自分はダメなんだろう」と落ち込んでしまいます。しかし、その自己嫌悪、放っておくと大変なことになります。どんどん自信をなくして、怖くて何もできなくなってしまいます。

そこで、親鸞聖人の生誕地「日野誕生院」の誕生物語と、そこから聞こえる応援メッセージをご紹介しましょう。自己嫌悪など、どうでもよくなると思います。

日野誕生院 石碑

日野誕生院 外観

歴史から消されかけた「親鸞聖人」驚きのエピソード

 親鸞聖人といえば日本最大宗派といわれる「浄土真宗」の宗祖で、鎌倉時代に活躍した日本史上の大偉人。宗教に疎い私ですら、「親鸞」の名前は知っています。歴史の教科書に太字で載っていたくらいですから。

 そんな親鸞聖人が歴史から消されかけた……初めてその話を聞いたとき、私はすぐにはのみ込めませんでした。なんといっても「浄土真宗」には数えきれないほど多くの信徒がいます。「いなかったことにする」など、誰ができるのでしょうか。しかし、親鸞聖人が生きた鎌倉時代から600年以上もたった明治時代の歴史学者が、実際に「親鸞は弟子がでっちあげた架空の人物だ」という説を唱えたのです。

 まるで、キリストやブッダの存在を後世の人々が否定するようなことではありませんか。私はどうにも理解できませんでした。

 とはいえ、理解できない歴史の中にはとっておきの秘話が隠れているものです。

 私は早速、京都市伏見区にある親鸞聖人生誕の地「日野誕生院」へ行ってみることにしました。親鸞が実在したことを今に伝える「生誕地」にこそ、謎を解くカギがあると思ったからです。

日野誕生院 平安時代の貴族の館を彷彿する建物

保育園と一体化した親鸞聖人の生誕地「日野誕生院」

 親鸞聖人の生誕地「日野誕生院」は、京都市伏見区の住宅街の中にありました。京都市営地下鉄東西線「石田」駅から、どこか昭和の匂いがする住宅街を20分ほど歩くと、なんともシックな装いの保育園があります。「日野誕生院」はその保育園の隣、というより一体化したような形でありました。

 もちろん、「日野誕生院」は親鸞が平安時代の下流貴族に生まれたことを物語る気品ある建物ですが、親鸞の「産湯の井戸」と「胞衣塚(えなづか)」は保育園の敷地内にあるのです。寺院が経営する保育園はたくさんありますが、観光名所でもある生誕地と一体化した保育園はあまり見かけません。しかも、保育園の園舎は、ちょっと見たことのないシックなデザインの木造建築で、日野誕生院とともに親鸞の生誕地を主張しているように見えました。

 しかし、この独特の風情こそが、「親鸞聖人の歴史を二度と消さない」という生誕地の想いにつながっていたのです。

保育園の敷地内にある「うぶ湯の井戸」と「胞衣塚」

史料が少ない親鸞聖人、“架空人物説”まで浮上

 親鸞聖人が歴史から消されかけたのは明治時代。当時の歴史学者が親鸞の史料が少なすぎることを理由に、「弟子がでっちあげた架空の人物だ」と発表したことが原因でした。

 そもそも親鸞聖人が脚光を浴びたのは明治時代に入ってからのこと。江戸時代までは弘法大師空海が仏教の祖として圧倒的な人気を集めていました。しかし、明治時代に入って、親鸞の教えを記した「歎異抄(たんにしょう)」に注目が集まり、人気が高まったのです。

 それまで親鸞の名前は「高僧伝」(高僧の伝記・列伝)のたぐいにも載っていませんでした。

 「歎異抄」は鎌倉時代後期に親鸞の弟子・唯円が、親鸞の教えを記したもので、長い間、西本願寺の書庫で眠っていたそうです。明治時代に真宗改革運動を推し進めていた清沢満之(きよざわまんし)と弟子たちが、「歎異抄」を世間に猛アピールして脚光を浴びることになりました。

 その背景には明治時代の文明開化がありました。西洋文化が日本に入ってきて、人々の価値観が大きく変わっていく中で、親鸞聖人の教えが人々の心に響いたのです。

 親鸞の教えとは、法然上人の教えを受け継いだ「どんな人も平等に念仏(南無阿弥陀仏)を唱えれば救われる」というもので、キリスト教に通じる部分があったといわれています。それまでは万人平等の精神が封建社会に受け入れられず、さらに「悪人こそ阿弥陀仏の救いの対象である」と説く「悪人正機」が様々なトラブルを起こし、問題視されていました。

 戦国時代、織田信長と争ったことで知られる蓮如は、親鸞の教えを受け継ぎ、さらなる布教に努めましたが、「悪人正機」は否定し、善人だけが成仏できるという「善人正機」を説きました。

 しかし、改めて考えれば「万人が救われる」と説くだけで良さそうなもの。親鸞が師事した法然も「悪人だって救われるのだから、ましてや善人は救われる」と説いています。 親鸞はなぜ、あえて「悪人正機」を説いたのでしょうか?

親鸞は自己嫌悪の塊だった?

  仏教入門「親鸞の『迷い』」(新潮社)には、驚くような一説があります。
 親鸞聖人に注目を集めるキッカケとなった「歎異抄」の一部を訳した箇所です。

 親鸞は唯円(歎異抄を記した親鸞の弟子)に「おまえは私のいうことに従うか」と問い、
唯円が「従います」と答えると、「千人を殺してみよ。そうすれば往生できる」と親鸞が言う。唯円が「自分は一人も殺すような器量をもっていません」と答えると、親鸞は「おまえは私のいうことに従うといったではないか」と責め、「千人を殺す人間の心が悪く、一人も殺さない人間の心がよいわけではない。ただ殺す因縁があるかないかの違いである」という。〈「仏教入門 親鸞の『迷い』」(新潮社)より引用〉

 これに対して、哲学者・梅原猛さんは、次のように解説されています。

 人を千人殺せば往生することができるという弟子への言葉は、聖人親鸞の言葉として甚だふさわしくない。しかしこの言葉は親鸞の深い悪の自覚から発せられたものであろう。親鸞の悪の自覚は常識を超えていて、親鸞の主著「教行信証」において、親鸞は己を、父を殺し、母を幽閉した古代インドのアジャセ王に比している〈「仏教入門 親鸞の『迷い』」(新潮社)より引用〉

 つまり、親鸞聖人は、自分のことを悪人だと思っていたということになります。史料によると、親鸞は9歳で得度し、その後20年間、比叡山で修行したものの、自分の中にある煩悩が消えないことを苦悩して下山。しばらく京都の六角堂に籠っていたところ聖徳太子の夢告を受けて目覚め、その後「誰でも念仏を唱えれば成仏できる」と「他力本願」を説いていた浄土宗の祖・法然上人の教えに感銘し、師事したとあります。

 もしかして、親鸞聖人は自己嫌悪の塊だったのでしょうか?

 そう考えると、親鸞が法然上人の「他力本願」に感銘を受けたことも理解できます。 ちなみに「他力本願」は、人間は皆「生かされている」のだから自力では成仏できない。念仏を唱えることで阿弥陀仏の本願に叶い、成仏できるという教えです。「悪人正機」はこの「他力本願」をベースに説かれた教えです。

  親鸞は自己嫌悪に苛まれていたからこそ、「他力本願」に感銘を受け、みずから説くようになったのではないでしょうか。調べれば調べるほど、興味深い親鸞聖人のエピソード。今も親鸞の研究に熱心な歴史学者が絶えず、作家の五木寛之さんが魅せられたのも分かります。

親鸞聖人 子供の頃の像

親鸞聖人生誕地「日野誕生院」から聞こえるメッセージ。

 明治時代の「親鸞架空人物説」が覆されたのは大正時代に入った1920年(大正9年)のこと。東京帝国大学助教授・辻善之助博士が「親鸞聖人筆跡之研究」を出版し、親鸞の筆跡が現存していることを証明します。そして、翌1921年(大正10年)には、京都の西本願寺から親鸞の妻・恵信尼の手紙が複数、発見されます。そこには娘にあてて、親鸞のことが詳細に書かれていたため、親鸞が実存する人物であることが認められたのです。

 しかし、親鸞が自らのことを記した史料が少なすぎることが、いまだに親鸞を謎めいた存在にしていることは否めません。自らを「法然上人の教えを布教しているだけ」とし、晩年には弟子とも会わなかった親鸞聖人。それは親鸞が極度の自己嫌悪だったゆえに、自分の記録をこの世に残さなかったとも考えられます。

 ここまで調べて、ようやく「日野誕生院」が保育園と一体化していることが分かるような気がしました。

 もしかしたら日野誕生院は、親鸞聖人が実在したという歴史を、保育園の幼児たちを通じて、次世代に受け継ごうとしているのではないでしょうか。それを裏付けるように、門前に立つ案内板には、日野誕生院の書院の建築が始まったのは1921年(大正12年)と書かれています。これは親鸞の実在が証明された年と同じ年です。

 日野誕生院は、親鸞が「自力」で残さなかった歴史を、次世代を担う子供たちという「他力」に委ねて、親鸞聖人の歴史を語り継ごうとしているように見えました。考えてみれば、これも「他力本願」なのかもしれません。

日野誕生院から生誕地が一望できる。

「他力本願」で自己嫌悪を乗り越えよう!

 どうやら、「他力本願」は自己嫌悪に効くようです。私たちも「他力本願」で救われるかもしれません。

 日野誕生院と同じように、子供に未来を託すことで、自分が生きた証をたてるのもいいでしょう。人間としては、もっとも本能に叶っているかもしれません。そういえば子育てに熱心なお母さんは、いつも子供中心で自己嫌悪に陥る暇はなさそうです。昔から「母は強し」と言いますが、その強さは、自分を差し置いて子供を守る本能から生まれているのでしょう。

 「えっ、子供? 自分には関係ないよ」とドン引きしたあなたも、「他力本願」で自分を忘れられる対象を見つければいいのです。

 たとえば趣味をみつけて没頭してみてはどうでしょう。絵を描いても、写真に凝ってもいいと思います。スポーツ、料理、ダンス、登山、アニメなど、犯罪に関わるものでなければ何でもいいのです。最近は仏像彫りに熱心な人も多いと聞きます。

 まずは自分を忘れて「他力」にすがってみませんか?

 親鸞聖人の言葉を借りるなら、自己嫌悪は自分のことを第一に考える「煩悩」そのものですから、他に目を向ければいいのですよ。

(nikkei BP net 2015.10.26掲載)