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column 京都「人生がラク」になるイイ話

実は忍者?
二足のわらじ、松尾芭蕉が京都に残した隠密物語(後編)

 人生、何事にも「お金」がかかる。幸せを運んでくるのも、また不安を運んでくるのもお金。経済的な安定を確保した上で、仕事もプライベートも充実させたい……という欲張りなのが現代人の悲しい性というもの? となれば、一つのことに打ち込んでいるだけでは事足りない。「二足のわらじ」の人生を歩もうではないか。あの俳句の神様・松尾芭蕉もそんな生き方を貫いた一人。ひょっとしたら忍者だったかもしれない……芭蕉の生き方について考える、後編です。

芭蕉の「二足のわらじ」人生、前編はこちら

芭蕉庵を抱く俳句の聖地「金福寺」

 さて、「ネコ寺」としても知られる京都の洛北にある「金福寺(こんぷくじ)」。目当ての「芭蕉庵」は、三毛猫の「福ちゃん」がのんびり寝ている本堂より少し高い、京の町を一望できる丘の上にありました。

 寺に伝わるエピソードによると、この芭蕉庵は、徳川家康(!) が開基した「円光寺」の僧で芭蕉と親しかった鉄舟と、京に立ち寄った芭蕉が語りあった場とされています。なんでも鉄舟とは金福寺が一時、荒廃したとき再興した僧侶だそうです。

芭蕉庵

 エピソードでは「風流を語り合った」とされていますが、芭蕉が訪ねた鉄舟が、徳川家康が開基した円光寺の僧ということを考えると、別の展開が見えてきます。もしかしたら、この場所も隠密の情報交換の場だったのではないでしょうか。

 仮に本当に芭蕉が、親しいだけで鉄舟を訪ねたのだとしたら、なぜ、すぐ近くの本拠地「円光寺」を訪ねなかったのでしょう。その方が不思議です。

 もしかしたら、鉄舟は京の町を一望できる場所だからこそ金福寺を再興し、最も京の町が見渡せる場所に庵をつくって、芭蕉を呼んだのかもしれません。ちなみに金福寺はもともと平安時代864年に円仁が創建した天台宗の寺でしたが、次第に荒廃し、江戸時代中期に円光寺の鉄舟により再興されて以来、その末寺になっています。

 なぜ、平安時代に創建された寺を、徳川家康が創建した寺の僧が再興したのでしょうか。その目的が京を見渡せる場所にあったのだとしたら、幕府の思惑が透けて見えます。芭蕉と鉄舟が親しかったのも「公儀隠密の仲」と考えれば不思議はありませんし、この場所で忍者と僧が京の町を見渡しながら情報交換をしたと仮定すると、すべてに合点がいくのです。

芭蕉と鉄舟が語り合った芭蕉庵内部。蕪村の句が飾られている。

芭蕉を崇拝した与謝蕪村の謎

 さらに、その85年ほど後、俳諧の中興の祖とされる与謝蕪村が金福寺を訪ね、すっかり荒廃していた「芭蕉庵」を再興しました。芭蕉を敬拝していた蕪村は、江戸時代後期の1764年(安永5年)、庵を再興し、1781年(天明元年)、俳文「洛東芭蕉庵再興記」をしたため、金福寺に納めたそうです。そのとき詠んだ句がこの句です。

耳目肺腸 ここに玉巻く 芭蕉庵   蕪村

 耳目肺腸とは全身を意味する漢語です。ただ、私は耳目の漢字から忍者を想像してしまいました。蕪村の有名なこの名句と、イメージが大きく異なることにも違和感を覚えます。

春の海  終日(ひねもす)のたりのたりかな  蕪村

 ちなみに、「日本近代誌の父」といわれる詩人・萩原朔太郎は、与謝蕪村の俳句について以下のように解説しています。

蕪村の句の特異性は、色彩の調子(トーン)が明るく、絵具が生々しており、光が強烈であることである。そしてこの点が、彼の句を枯淡な墨絵から遠くし、色彩の明るく印象的な西洋画に近くしている。(「郷愁の詩人 与謝蕪村」萩原朔太郎著/岩波文庫より引用)

 私も素人ながらに、与謝蕪村の句にはどこか絵を思わせる情緒を感じます。しかし先に紹介した芭蕉庵の句だけは、別物に思えてなりません。無粋すぎますが、「耳も目も肺も腸もここに集中させ、玉のような情報を巻いた芭蕉庵」とも読めてしまうのです。

 さらに、いらぬ想像もかき立ててしまいます。もしかしたら蕪村は芭蕉を「忍者として尊敬」していたのではないかと……。

 そう考えると、与謝蕪村が芭蕉の足跡を追って「おくのほそ道」のルートをみずから歩き、原文に俳画を描き加えた「奥の細道図巻」(国宝)を制作した意図もわかります。また、蕪村が大阪に生まれながら20歳の頃に江戸に入り、俳諧を学んでいるうちに芭蕉に憧れ、僧に化けて東北地方を周遊したというエピソードもうなづけます。

 もちろん、俳句や俳諧が好きで、その道で生きていこうと思ったのは事実でしょう。しかし、それだけでは生活が成り立たないので、芭蕉のように「公儀隠密」として幕府に就職することを目指したのではないでしょうか。また「おくのほそ道」を得意の絵で描いた背景には、幕府へ「こんなこともできますよ」と自己PRするためだったのかもしれません。

 現在、就活でエントリーシートのほかに、人事部の目を引く自己PR書類を添えることと同じことです。しかし残念ながら、幕府から内定をもらうことができず、蕪村は京都に入り「芭蕉庵」を再興することで俳諧の道を歩く礎にしたのではないでしょうか。

 ここまで「仮説」をたてると、ますます俳句に詳しい方々から激怒されそうですね。とにもかくにも、金福寺には、芭蕉庵に寄り添うように与謝蕪村の墓と、蕪村一門の俳人の墓が立ち並んでいました。いずれも、芭蕉が鉄舟と見渡したであろう京のまちを一望するように。

与謝蕪村の墓

井伊直弼の隠密だった「村山たか」の謎

 しかし、金福寺に伝わるもうひとつのエピソード「村山たか」の逸話は、芭蕉忍者説に通じるものがあります。彼女は正真正銘の「公儀隠密」だったからです。

 村山たかは、井伊直弼が彦根城下で蟄居生活を送っていたころ情交を結んだ「愛人」で、井伊直弼が大老となり「安政の大獄」を行っている際には、京都にいる倒幕派の情報を江戸に送るスパイとして活躍したそうです。このことは史実として記録されており、村山たかは日本の政権に属した女性工作員(スパイ)として史上初めて名を留めることになりました。

 しかし1860年(安政7年)、桜田門外の変で井伊直弼が暗殺された後、1862年(文久2年)に捕らえられて三条河原にさらされましたが、女性という理由で命を助けられ、出家して金福寺の尼になったのです。

井伊直弼の隠密だった「村山たか」の謎

 しかし、金福寺に伝わるもうひとつのエピソード「村山たか」の逸話は、芭蕉忍者説に通じるものがあります。彼女は正真正銘の「公儀隠密」だったからです。

 村山たかは、井伊直弼が彦根城下で蟄居生活を送っていたころ情交を結んだ「愛人」で、井伊直弼が大老となり「安政の大獄」を行っている際には、京都にいる倒幕派の情報を江戸に送るスパイとして活躍したそうです。このことは史実として記録されており、村山たかは日本の政権に属した女性工作員(スパイ)として史上初めて名を留めることになりました。

 しかし1860年(安政7年)、桜田門外の変で井伊直弼が暗殺された後、1862年(文久2年)に捕らえられて三条河原にさらされましたが、女性という理由で命を助けられ、出家して金福寺の尼になったのです。

「村山たか」位牌

魅惑の「二足のわらじライフ」

 松尾芭蕉と与謝蕪村、そして村山たかのエピソードを基に、芭蕉忍者説をたどってみましたが、いかがだったでしょうか。もちろん、これだけで芭蕉が忍者だったと確証できるものではありません。しかし、忍者と俳聖の「二足のわらじ」をはいた芭蕉の人生からは、「上手に生きるヒント」がたくさん見えてきました。これは、現代を生きる私たちにも役立ちそうです。

 もちろん「うちの会社は兼業禁止」というビジネスパーソンは多いでしょう。そんな人は、芭蕉を見習って「俳句」を詠んでみてはいかがでしょうか。また規律の多い銀行員の傍らシンガーソングライターとして大成した小椋佳さんのように、音楽の世界を追求してみてもいいかもしれません。

 そういえば俳句は、世界で最も短い詩「HAIKU」として海外で少しずつ人気が出ているようです。なかでも2012年にノーベル平和賞を受賞したEUの、初代大統領ファンロンパイ氏は熱心な俳句の愛好家として知られています。

 以下は、ファンロンパイ氏が読んだ「HAIKU」です。

An old dog faithfully plodding at hismaster’s side.
Growing old together.
(飼い主と 年老いの犬 相連れて)

The three disasters.
Stoms turn into a softwind.
A new, humanewind.
(三災後 仁愛の風 流れ込む)NHKニュース「おはよう日本」2013年11月6日放送
「俳句“HAIKU”世界で人気」より抜粋

 このときのNHKニュースによると、「HAIKU」は今や世界70か国に広まっており、各国で読まれる俳句は、「3行に分ける」「季節感を取り入れる」といった簡単な約束事のみで、あとは自由に詠まれているそうです。

 私が金福寺を訪れた時も、イタリアからやってきたというHAIKUファンに会いました。彼らは松尾芭蕉も、与謝蕪村もすでに知っている様子で「BASYOU、BUSON、素晴らしいですね」と、イタリア人らしい明るい表情で私に語りかけてきました。

 もしかしたら、これから「HAIKU」は世界で通用する詩として、もっと注目されるかもしれません。だとしたら、今から俳句を詠めるようになっておくと、国際人としてのビジネスを後押ししてくれるかもしれません。

 これを機に、俳句、やってみますか。「やってみよう」という人は、ぜひ、新年の抱負に加えてみてください。

金福寺

【参考資料】
 「入門 松尾芭蕉」(宝島社)
 「郷愁の詩人 与謝蕪村」(萩原朔太郎著/岩波文庫)
 NHKニュース「おはよう日本」ウェブサイト
 「佛日山 金福寺」パンフレット ほか◆参考資料
 「入門 松尾芭蕉」(宝島社)
 「郷愁の詩人 与謝蕪村」(萩原朔太郎著/岩波文庫)
  NHKニュース「おはよう日本」ウェブサイト
 「佛日山 金福寺」パンフレット ほか

(nikkei BP net 2015.12.22掲載)