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column 京都「人生がラク」になるイイ話

不動の人気を誇る坂本龍馬、
裏に松下幸之助のPR戦略あり

情報が伝わらない。注目してもらえない

 PRを生業にして30年。最近よく「何をやっても情報が伝わらない。注目も集まらない。これからの情報戦略、どうすればいいでしょうか」といった相談をいただきます。

 確かにインターネットが登場してからというもの、世界中から刺激的な情報がリアルタイムに押し寄せるので、現代人はよほどインパクトの強い情報でなければ注目しなくなってしまいました。また、たとえ一時的に話題になっても、次の日にはすっかり忘れ去られてしまうのが常で、情報戦略が必須のビジネスパーソンが「どんなに頑張ってもムリ」とジレンマを抱くのは当然です。

 しかし、そんな今でも人々の心をガッチリつかんで離さないものがあります。時代を超えて愛されるヒーローやヒロインの物語です。いつの時代にも「いいなぁ」「憧れるなぁ」というスターは現れますが、ほとんどが一時のこと。長く人の心をつなぎ止めておくためには、実はちょっとした仕掛けが必要なのです。

 そこで今回は、誰もがヒーローと認める幕末の志士・坂本龍馬がどのような経緯を経て、今なお愛され続けているのか、PR専門家としての独自の視点でプロセスを追ってみたいと思います。

 ヒントをくれるキースポットは、京都・東山の「維新の道」から、坂本龍馬をはじめ幕末の志士たちが眠る京都・東山の「京都霊山護国神社」に至る一帯です。あなたもきっと、「時代を超えた注目の集め方」に目の覚めるような思いを抱くことでしょう。

龍馬の墓にある銅像

ニッポンのヒーロー坂本龍馬

 現在、日本人で「坂本龍馬はニッポンのヒーローだ」と言って否定する人はほとんどいないでしょう。それほど彼のヒーロー伝説は国民の心に焼き付いています。それは、何度もテレビドラマや映画に主人公として登場していることや、坂本龍馬を演じる俳優がいつも時代を代表するトップスターであることからもわかります。

京都・東山「維新の道」入口

 例えば、56年続くNHK大河ドラマでは龍馬は2回主人公になっており、1回目の1968年に放送された「竜馬が行く」では北大路欣也さん、2010年放送の「龍馬伝」では福山雅治さんが演じています。いずれも、それぞれの時代を代表するトップスターであることは、誰の目にも明らかです。

 なぜ、坂本龍馬はこれほどの国民的ヒーローになったのでしょうか。もちろん、幕末に薩長(さっちょう)同盟や大政奉還を実現させた立役者のひとりで、日本最初の商社をつくったスゴイ人物であることは知っています。ただ、彼は時の権力者ではなかったのですから、その功績を誰かがしっかり伝えなければ、社会に知られることはなかったかもしれません。と言うより、その時代の権力者や政治家の功績として歴史に残るのが普通ではないでしょうか。戦国時代の織田信長や豊臣秀吉、徳川家康のように。

 だとしたら龍馬がヒーローになった裏には、何かとっておきの仕掛けが隠れているのではないか……。そんなPR専門家ならではのカンを頼りに早速、「坂本龍馬ヒーロー伝説」はいつから、どのように人々を魅了していったのか、探ってみることにしました。

ズラリと並ぶ幕末の志士たちの墓

原点は、司馬遼太郎が紡いだ「感動ストーリー」

 坂本龍馬はいつから注目を集めたのか――。そこから調べると、作家・司馬遼太郎さんの小説「竜馬がゆく」にたどり着きます。今、私たちが知っている龍馬は、その多くがこの作品が原点になっています。

 こんなことを書くと、熱烈な龍馬ファンから「何を言うか! 坂本龍馬はもっと以前から有名人だ。何も知らんミーハーがほざくな!」などと、キツイおしかりを受けるでしょう。確かに「竜馬がゆく」以前にも坂本龍馬に関する書籍は出版されていますし、高知市の桂浜公園に坂本龍馬の銅像が建立されたのは昭和3年(1928年)ですから、「司馬遼太郎は一般の人々にわかりやすい物語にしただけ」とする歴史家など専門家のみなさんの主張もわかります。

 しかしPRの視点では、この「一般の人たちにわかる物語」が最も重要なのです。社会は人で構成されているという考え方を基に、「人に知られていないのは存在しないと同じこと」と考えてしまうからです。

 とにかく今から54年前の1962年、産経新聞で司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」の連載が始まり、翌1963年から文芸春秋の書籍として刊行されたことが「坂本龍馬ヒーロー伝説」の始まりでした。ちなみに司馬さんはこのとき古本屋で1400万円分もの古本を買い込み、龍馬について調べたというエピソードが残っています。この「知らせたい熱意」が人々の心を動かしたのかもしれません。

 もっとも、司馬さんに坂本龍馬の存在を知らせたのは、産経新聞時代の高知出身の後輩だったというのですから、故郷の熱意が原動力になったことは間違いありません。

 そして、司馬さんが紡いだ龍馬の物語は多くの人々を感動させました。その感動は1968年、NHK大河ドラマ「竜馬がゆく」の放送につながり、一気に国民の注目を集めることになりました。

 しかし、それだけでは、龍馬は“時のヒーロー”で終わっていたかもしれません。事実、一時、全国的な話題を集めたけれど、その後、すっかり忘れられた人は山のようにいます。

 ところが龍馬はその後、国民的ヒーローへと上り詰めていきます。このとき“神の手”が差し伸べられたからです。

京都「円山公園」の坂本龍馬と中岡慎太郎の像

経営の神様・松下幸之助、龍馬PRに立ち上がる!

 “神の手”とは、 「経営の神様」こと故・松下幸之助さん(パナソニック創業者)の支援でした。

 NHK大河ドラマで「竜馬がゆく」が放送された年、松下幸之助さんは京都の有志から龍馬の墓が荒廃していることを聞き、関西の経済界に呼びかけて、明治100周年を記念した「霊山顕彰会」という組織を立ち上げたのです。

 この「霊山顕彰会」がとにかくスゴイ。

 現在は公益財団法人として、坂本龍馬をはじめ幕末の歴史を語り継ぐPR活動を展開していますが、役員名簿を見ると、京セラの稲森和夫会長やワコールホールディングスの塚本能交社長、サントリーホールディングスの鳥井信吾副社長など関西を発祥とする経財界の大物の方々、さらに全国の知事たちがズラリと名を連ねています。

 つまり、松下幸之助の呼びかけで集まった経済人たちが、坂本龍馬の功績に注目し、龍馬の墓を再興するとともに、龍馬が行った功績を次代に語り継ぐPR活動をスタートしていたのです。

 具体的には、明治100周年にあたる1968年(昭和43年)、龍馬の墓がある「京都霊山護国神社」に隣接した場所に、日本初の幕末の歴史をテーマにした博物館「幕末維新ミュージアム 霊山歴史館」をつくって幕末の歴史的資料を公開するとともに、龍馬たち志士の功績をPR誌やイベントで継続的に発信しています。

 このPR活動が特に目新しいというわけではありません。しかし、PR誌が役員に定期的に配布されていることだけを考えても、PR効果は絶大と言っていいでしょう。少なくとも司馬さんが紡いだ龍馬の物語は、産経新聞の連載が終わっても、大河ドラマが終了しても、経済界の大物たちに“感動を伴って”語り継がれていたことになります。その社会的影響力を考えれば、どれだけ多くの人やメディアにその感動が伝わったか容易に想像できます。半世紀たった今も、国民的ドラマや映画に坂本龍馬がイキイキと登場する訳がわかります。

京都霊山護国神社

もし、司馬遼太郎と松下幸之助がいなかったら?

 そう言うと恐らく「そんなことはない、松下幸之助がいなくても坂本龍馬は最初からヒーローだった」と主張する龍馬ファンが多数いらっしゃると思います。そこでもし、司馬遼太郎さんと松下幸之助さんがいなかったら、どうなっていたかシミュレーションしてみましょう。

 坂本龍馬は1867年(慶応3年)11月15日、「近江屋事件」で暗殺された後、志士たちを埋葬していた京都の東山に、他の志士たちと同じように葬られました。つまり功績を残した人物として、手厚く葬られたわけではなかったのです。現在も、この霊山聖域には、明治維新の志士たち約3100柱が祭られています。

 そして明治元年、明治天皇の意志を反映した太政官布告により、志士たちを祭る「京都霊山護国神社」が開基されました。つまり龍馬たちの墓は国費で守られることになったのです。しかし、時代が戦争へと向かうにつれ国費で守ることができなくなり、どんどん荒廃が進んで第二次大戦後には荒れ果ててしまいました。つまり、“忘れられた墓地”になってしまっていたのです。

坂本龍馬と中岡慎太郎の墓

 ここで登場したのが司馬さんと松下さんです。

 もし、司馬さんがいなかったら、まず坂本龍馬に人々の注目がこれほど集まることはなかったでしょう。NHK大河ドラマで主人公になって、国民的な感動を呼ぶこともあり得ませんでした。

 もちろん、高知の桂浜に「坂本龍馬像」は既にありましたが、その物語が国民に感動的に伝わることはなかったでしょう。事実、全国に「物語」が知られていない地方の銅像は、山のように存在しています。

 一方、松下さんがいなかったら、まず龍馬の墓が今日まで守られることも、龍馬の物語が語り継がれることもなかったでしょう。もちろん、龍馬の墓が荒れていることに心を痛めた京都の有志の皆様は、なんとか守ろうと努力されたでしょうが、どうしても「国費」に変わる経済力が必要になります。そして社会を動かすPRパワーには、社会的影響力の大きいオピニオンリーダーは欠かせません。

大脳生理学的にPR戦略を考えてみると……

 実は司馬さんから松下さんに至るこのプロセスは、理想的なPR戦略といえるのです。大脳生理学で分析すると、人々に効率的に伝わり、忘れられないというPR効果が理論的に説明できます。

 脳生理学者・高木貞敬先生の著書「脳を育てる」(岩波文庫)より、ヒトの認知をつかさどる大脳の機能について解説された部分をご紹介しましょう。

大脳の働きを大きく分けると「知」「情」「意」の三つとなる。
「知」とは、知恵とか知識とか英知といわれる大脳の活動で、明日のことや何カ月も先の予定を考えたり、新しいドレスを工夫したり、数学の計算をしたり、過ぎ去った日々のことを思い出して反省したり批判したりというような知的な活動。
「意」とは、意志とか意欲とかいうように、行動をおこしたり行動をおさえたりすることに関係した大脳の前向きの働き。
「情」とは感情とか情動といわれる脳の働きで、喜怒哀楽や恐怖、また好き・嫌い・愛情などの大脳辺縁系の働きのほか、視床下部の食欲、性欲、集団欲、睡眠など、個体の生命の維持や種族の保存などの本能とも深い関係をもつものである。 (「脳を育てる」<高木貞敬著/岩波文庫>より引用)

 つまり「坂本龍馬ヒーロー伝説」は、以下のように人の大脳すべてを順番に動かしていることになります。しかも継続的に「動かす仕組み」ができているので、人は龍馬を忘れることなく、感動し続けているのです。

1:「情」が動く=司馬遼太郎「竜馬がゆく」の感動ストーリー。今も感動が続く。
2:「知」が動く= 松下幸之助「霊山顕彰会」結成。積極的なPR活動が継続されている。
3:「意」が動く=坂本龍馬をしのぶ「龍馬の墓(京都霊山護国神社)」を整備し「霊山歴史館」が作られた。もちろん高知・桂浜の「坂本龍馬像」や龍馬関連施設なども。

 この理論は広告宣伝に対する消費者の心理プロセスを理論化した「AIDMA理論(Attention:注意→interest:興味→desire:欲求→memory:記憶→Action:行動)」にも通じるところがありますが、とにもかくにも、こうして「坂本龍馬ヒーロー伝説」は今も、人々の心に生き続けているのです。

 PRの世界ではよく「PRは経営そのものだ」と言われますが、経営の神様・松下幸之助さんは特にPRを意識されなくても、本能的にその神髄を実践されていたことになります。 まさしく「超PR戦略」といえるでしょう。

大脳生理学で「注目される仕組み」をつくろう!

 このプロセスはそのまま、会社や商品に注目を集める仕組みに生かすことができます。

(1)「情」を働かせるために「感動ストーリー」をつくる。  
 司馬遼太郎が「竜馬がゆく」を紡いだように、あなたも自社や商品の感動ストーリーをつくりましょう。

(2)「知」を働かせるためにPR活動の仕組みをつくり、継続する。  
 松下幸之助が「霊山顕彰会」をつくり、PR誌やPRイベントを継続的に行う仕組みがつくられたように、継続的な情報発信の仕組みをつくりましょう。特に、マスメディア(ドラマや映画を含む)は社会的影響力が大きいので、積極的に情報発信しましょう。

(3)「意」を働かせるために、人が動く仕組みをつくる。  
高知に「坂本龍馬像」や一連の龍馬関連施設、京都に「龍馬の墓」や「霊山歴史館」がつくられたように、「情」を動かす感動ストーリーを実感できる「場所」をつくって、人が動く仕組みをつくりましょう。

大脳生理学でPRを考える図

 ここまで読んで「な~んだそんなことか。既にやっているよ。効果がないからここまで読んだのに……」という方も多いでしょう。しかし、改めて以下について振り返ってみてください。

・あなたが紡いだ物語は本当に感動しますか?ただの宣伝になっていませんか?
・あなたが作ったPR活動は、一方的な宣伝で、マスメディアから嫌がられていませんか?
・あなたが作った施設は、感動ストーリーを彷彿できますか?

 それでも「難しい」という方は、別のアプローチもあります。関心のある方は、私の新刊「ブームをつくる人がみずから動く仕組み」 (集英社新書)をぜひ読んでみてください。「情報が伝わらない。注目が集まらない」という悩みを解決させられると思いますよ。


【参考資料】
 「竜馬がゆく」(司馬遼太郎著/文春文庫)
 「脳を育てる」(高木貞敬著/岩波文庫)
 「龍馬史」(磯田道史著/文春文庫)
 「京都霊山護国神社」「霊山歴史館」公式サイト ほか

(nikkei BP net 2016.1.18掲載)