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column 京都「人生がラク」になるイイ話

理想の女性はコワい?
秀吉の正室おねと菅原道真の“深い”関係

男が求める理想の女って、どんなタイプ?

 2月に入って、街はバレンタインムードに包まれてきました。このシーズンになると、日ごろ「恋愛なんか関係ない」と言っているビジネスパーソンたちも、どこかソワソワしてきます。ただ、昨今のパートナー選びは冷静で、恋愛を成就させるよりも、仕事もプライベートも「人生がラク」になる理想のパートナーを探す人が増えているようです。

 そこで、どんなパートナーが理想なのかを調べてみました。すると、アメリカの精神医学誌に掲載された研究論文に、「男性が求める理想の女性」とは次の6タイプと紹介されていることがわかりました。原本を取り寄せることが困難だったので、通説にはなりますが、ご紹介しましょう。

1:母親タイプ(母親のように包み込んでくれる女性)
2:プリンセスタイプ(ちょっと手に入らなそうな高嶺の花的女性)
3:都合の良い女タイプ(自分の都合の良いように動いてくれる女性)
4:自分だけに従順タイプ(自分に献身的な女性)
5:子犬ちゃんタイプ(甘え上手で自分だけを見てくれる女性。気まぐれな子猫はダメ)
6:優秀な秘書タイプ(自分を支えて出世させてくれる女性。いわゆる「あげまん」)

 ということは、この6タイプの特徴をすべて併せ持つ女性がもしいれば、まさに男性にとって“究極の理想の女性”ということになります。しかし、そんなスゴイ女性が実際に存在するのでしょうか。

豊臣秀吉の正室おね様は、理想の女性そのもの

 実は、日本の歴史上には、この6タイプの特徴をすべて併せ持つ人物が存在したのです。それは、豊臣秀吉の正室おね様(北政所・高台院)です(このコラムでは、女性として深堀りしますので、北政所でも高台院でもなく「おね様」と呼ばせていただきます)。

 おね様は、もともと由緒ある家の娘だったにもかかわらず、百姓上がりの秀吉に嫁ぎ(プリンセスタイプ)、ずっと秀吉を支え続け(自分だけに従順タイプ)、天下人にまで押し上げた女性(優秀な秘書タイプ)として有名です。

 しかし、子供に恵まれなかったことから、豊臣家のために秀頼を生んだ側室の淀君をたて(都合の良い女タイプ)、自分は一歩身を引いて見守りました(母親タイプ)。それでいながら、テレビや映画に登場する「おね様」はお茶目でかわいい、まさに「子犬タイプ」として描かれています。

 まさに、おね様は「男性が求める理想の女性のタイプ」そのものといっていいでしょう。

 ただ、私は一人の女性として、そんな「おね様」が信じられません。私だったら自分の身分を下げてまで嫁ぎ、必死で支えてきた秀吉が天下人になった途端、自分から離れて淀君を愛した時点で「何もかも潰してやる!」と思ったことでしょう。それが普通の女性であり、人間というものではないでしょうか。

 そこで今回は、「本当におね様は、理想の女性だったのか」掘り下げてみようと、おね様が晩年を過ごした京都の「高台寺」へ行ってみました。おね様の心に潜む真実を見ることができるのではないかと思ったのです。

高台寺 入口

おね様は、怒りに満ちた道真公を毎日、拝んでいた!

 高台寺は京都を一望できる東山の一角にあります。一般道から高台寺へ続く急な坂道は 豊かすぎるほどの風情を醸していて、ドラマや映画に登場する心の広いおね様が、静かな笑みをたたえて現れそうな錯覚すら覚えました。

 一方、秀吉の死後、二人で築いた大坂城を(おね様の立場なら、そう思って当然)、側室の淀君とその子・秀頼に託し(というより、奪われて)、この静かな地にやって来たおね様の心境を考えると、「戦国時代を闘い抜いた女性として、本当に心が休まったのだろうか」と余計な心配をしてしまいました。

 しかし、その心配は坂を上って、高台寺に入ろうとしたその時、ちょっと離れた入り口にたたずむ社に秘められた真実を知って吹っ飛びました。なんと、そこには、恨みと怒りに満ちた菅原道真公が、「高台寺天満宮」の天神さまとして祭られていたのです。

 もっとも、ちょっと見ただけでは「あ、天神さまがここにもいらっしゃる」くらいにしかわかりません。天満宮の説明板には「菅原道真公をおね様が崇拝していたので、高台寺を創建したとき、おねの兄である足守藩主・木下家定公が社殿を造営して寄進した。学問の神様であるだけでなく、おね様が秀吉とともに天下統一、出世を果たしたことにちなみ、開運・出世・健康長寿・災難厄除のご利益がある」と説明されているだけです。

 ところが、そこに祭られている道真公は、平安時代に朝廷で藤原時平にハメられて大宰府へ“左遷”された時の、恨みと怒りで顔までゆがんだ道真公だと説明書きが添えられています。

 さらに高台院ゆかりの宝物を展示する「掌美術館」には、怒りで目を見開いた道真公の掛け軸と、その道真公を夢に見たというおね様のエピソードが紹介されています。その道真公は「綱敷天」だと説明が添えられていましたが、高台寺天満宮に祭られている天神さまは、他の地域の綱敷天よりさらに怒りに満ちた、京を追い出された、まさにその時の道真公なのです。

怒りの道真公を祭る「高台寺天満宮」

おね様は、本当に淀君と秀頼の幸せを祈っていた?

 ちなみに大阪には「綱敷天神社」があり、その名の由来として、道真公が大宰府に向かう時、紅梅を愛でるために立ち寄ったものの、左遷の身ゆえ敷物もなく綱を丸めて座ったというエピソードが語り継がれています。大阪の「梅田」という地名は、このエピソードに由来するというほど、深い歴史をはらんでいますが、道真公の怒りについては語り継がれていません。

 どちらにしても綱敷天は学問の神様というより、怒りと悲しみと憂いの道真公ということができます。そんな「綱敷天」がなぜ、高台寺に祭られているのでしょうか。おね様が夢で見たというエピソードが本当なら、怒りの天神さまを見たことになります。 私は背筋が寒くなりました。

 とにかく、秀吉の死とともに出家して高台院となり、静かに余生を過ごしていたはずのおね様は、実は毎日、怒り心頭の菅原道真公に手を合わせていたのです。広い心で豊臣家の安泰を願い、京に身を引きながらも、淀君と秀頼の幸せを祈っていたというエピソードはちょっと信じ難くなりました。

※菅原道真がハメられたエピソードについては、以前のコラム「ハメられたら“神対応”で反撃。怨霊になった菅原道真“実家跡”のメッセージ」をご覧ください。

高台寺天満宮

徳川家康を利用したのか?

 石田三成率いる西軍が滅亡した「関ケ原の戦い」、大坂城が炎上し、秀頼と淀君がこの世を去った「大坂夏の陣」において、豊臣側の武将たちに人望の厚いおね様が、徳川家康に味方したという話は有名です。最近、歴史学者の先生方の研究により、豊臣側についていたという説も発表されていますが、ドラマや映画には、家康と蜜月なおね様のシーンが再三、描かれてきました。

 徳川家康が大坂城を攻める前に、高台寺におね様を訪ね、理解してくれるように頼み「世のためにはやむを得ませんね」などと深い言葉で家康を送り出すおねの寂し気な姿……そんなシーンを見るたびに、「なんて、懐深い心を持った女性なんだろう」と感動した人は多いことでしょう。

 しかし、身内さえ敵とみなせば皆殺しが当たり前だった戦国時代の武将が、敵の安泰を願いながら、しぶしぶ味方するなんて人を、女性とはいえ、放っておくでしょうか。しかも、おね様は敵側の武将たちに厚い信頼を得ている人物です。明確に「豊臣家を潰したい。一緒に戦う」といった意思を確認できない限り、訪問すらしないのが本当ではないでしょうか。

 そんなことを考えながら史実を見ると、おね様が晩年を過ごしたこの地が家康に保護されたこと、さらに二代将軍・徳川秀忠は上洛のたびにおね様を訪ねて、石高も増やしたという記録に「やはり実際には、豊臣家を潰したい。淀君の好きにされてたまるか!」と思っていたのではないかと想像しております。

 「歴史の裏に女あり」とよく言われますが、豊臣家を滅ぼして家康を天下人にした陰の功労者は、おね様だったのかもしれません。

おね様の理想郷と実家の思いやり

 そんなことを思っているうち、おね様の実家の存在が気になってきました。高台寺天満宮の社をつくって献上したのは、おね様の実兄・木下家定公だからです。高台寺天満宮の由緒についても、木下家定公が書き残した史料が元になっているとのことで、どうやら美談しか書かれていないようです。もしかしたら、これも実の妹であるおね様に対する思いやりなのかもしれません。

 今も昔も、女性が嫁ぎ先で辛くなったとき、心を寄せるのは実家です。おね様がこの地にやってきたとき、実家はどう思い、どう行動したのでしょうか。そこには知られざる物語が潜んでいるような気がしてなりません。

 そこで、高台寺の近くにある「圓徳院」を訪ねました。圓徳院はおね様の住まいで終焉の地です。おね様は秀吉の死後、高台寺をつくるとき、慶長10年(1605年)、秀吉と過ごした伏見城の化粧御殿と前庭をこの地に移築し、移り住みました。秀吉の思い出と静かな日々を過ごしたいという女心が垣間見えます。

圓徳院にある秀吉が好いた手水鉢

 「圓徳院」を訪ねると、入り口に秀吉が好んだ手水鉢があり、いかにも秀吉がまだ生きて、ここに住んでいるかのように思えます。敷地内には、秀吉の出世守本尊「三面大黒尊天」もあります。三面大黒尊天は、大黒天、毘沙門天、弁財天の三体が合体した秀吉の念持仏です。何事も効率的に考える秀吉らしい神様だからこそ、おね様はここに祭ったのでしょう。圓徳院には、秀吉の「良い思い出」が満ちているようです。

圓徳院にある秀吉の念持仏「三面大黒尊天」

 そして屋敷内には、おね様の実兄・木下家定公など実家の人々が描かれた絵画や遺品が多く展示されていました。圓徳院はおね様の死後、甥の木下利房が、高台寺の三江和尚を開基に、木下家の菩提寺にしています。おね様がつくった「秀吉との良い思い出の場」を後世に遺してあげたかったのかもしれません。

 それを裏付けるように、屋敷には猿が飛び交う屏風が展示されていました。秀吉が信長に仕えていたころ、「猿」と呼ばれていたのは有名な話ですが、天下を取ってから自分を「猿」と呼ぶ人は厳しく罰したと伝えられています。きっと「猿」と呼ばれることでプライドが傷ついたのでしょう。

 しかし、おね様にとっては秀吉が「猿」と呼ばれていた時代が一番幸せだったのかもしれません。そんな日々を思い描くかのように、屏風には、忙しく動き回る猿が一面に描かれていました。そんな「猿だらけの屏風」には一言の説明も添えられていませんでしたが、それも実家のおね様へのおもいやりのように感じられました。

圓徳院にある秀吉の念持仏「三面大黒尊天」

理想の女性をパートナーにするには

 ここまで、理想の女性そのものとして描かれてきたおね様の本心を、女性ならではの視点で探ってみましたが、いかがだったでしょうか。

 結論として「理想の女性」なんて、実際には存在しないのだと思います。もし、あなたに気になる女性がいて、「理想の女性だ」なんて思っていたら、ハメられるかもしれません。今すぐ現実を直視して、生身の人間としての彼女を好きになりましょう。

 そして、「おね様」のように“理想に近い女性”を狙うなら、おね様のエピソードを参考に、秀吉のような「育て甲斐のある男」を演じてみてもいいのでは。おね様のような優秀な女性が魅かれるタイプのひとつに、「育て甲斐のある男」があることは否めません。バリバリのキャリアウーマンが新進気鋭のアーティストを応援したり、「たまごっち」に始まる「育成ゲーム」にハマりがちであることを見ればよくわかります。

 ただ、出世した後の浮気はご法度です。おね様ほどの女性でも、表では穏やかに見せながら、実は怒り心頭の道真公に手を合わせ、徳川家康と懇意にしていたのです。優秀な女性ほど策略家ですから、油断すると、あなたもハメられるかもしれませんよ。


【参考資料】
 京都市「高台寺」「圓徳院」説明看板、「高台寺」「圓徳院」パンフレット、公式サイト
 大阪「綱敷天神社」由緒資料
 消された政治家菅原道真(平田耿二著/文芸春秋)など

(nikkei BP net 2016.2.1掲載)