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column 京都「人生がラク」になるイイ話

家康の作戦?
なぜ「東海道五十三次」の終わりは三条大橋なのか

人生の流れを変えたいときは、「東海道五十三次」を思い出せ

 新年度に入って3カ月。四半期決算が発表されたり、7月に人事異動を控えていたりして、ビジネスパーソンにとっては何かと落ち着かない時期です。特に、新年度から始まったプロジェクトが計画通りに運ばなくて、「どうしたもんじゃろのう……」と悩んでいる人も多いのではないでしょうか?

 いったんスタートしたプロジェクトは、いくら予定どおり運ばなくても、簡単に「見直したい」では通らないのがビジネスの世界。誰もが「それは仕方ない」と納得する理由を示した上で、見直す方向へ流れを変えなければなりません。

 そこで今回は、「東海道五十三次」にまつわるエピソードを紹介したいと思います。

 東海道五十三次といえば多くの人が、歌川広重の浮世絵や、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に登場する弥次さん喜多さんを思い出すでしょう。その影響か、なんだか賑やかで明るいイメージが定着していますが、当初は徳川家康が天下統一のために、江戸城と朝廷のある京都や豊臣家の居城・大坂城との連絡を迅速に行うために整備した、いわば“軍用道路”だったのです。そこには、これまであまり語られることのなかった、家康の「世の流れを変える」目論見が見え隠れします。

 特にキーポイントになるのが、東海道五十三次の西の起点である京都の三条大橋。東海道は五条大橋につながっているのに、家康はなぜ、わざわざ「三条大橋」を選んだのか。その理由を深掘りしたら、「流れを変える」大きなヒントが見えてくるのです。

 それでは早速、東海道五十三次が誕生したエピソードから紹介していきましょう。

三条大橋にある弥次さん喜多さんの石像

実は4つ多い「東海道五十七次」だった!

 東海道五十三次は、「関ケ原の戦い」で家康が勝った翌年の慶長6年(1601年)、古代・中世を通じて東西交通の幹線道路だった東海道に、「宿駅伝馬制度」を敷き、幕府が「御伝馬之定」を交付したことで誕生しました。

 この定は東海道沿いに宿場を設け、幕府の公用をこなすために人や馬を集めておき、公用の書状や荷物を宿場ごとに交替してリレーのように運ぶというもの。しかも無料と定められたため、東海道はたちまち活気づきました。江戸と京都の連絡網はどんどん発展し、東海道沿いの旅籠(宿屋)は、3000軒にも上ったと記録されています。

 こうして、すっかり賑やかになった東海道五十三次ですが、実は「東海道五十七次」だったことが史料に記されています。

 東海道五十七次は、徳川家康が「大坂夏の陣」で大坂城を落城した4年後の慶長20年(1615年)、すでに整備していた東海道を大坂まで延長することで整備されています。宿場も「伏見宿」「淀宿」「枚方宿」「高麗橋宿」の4つを増設し「東海道五十七次」としたのです。

 このようにスムーズに整備できたのは、かつて豊臣秀吉が整備した「京街道」をベースにしたからでした。「京街道」とは、秀吉が伏見城を築城したとき、京と大坂城との交通網を整えるために整備した道路のこと。家康は、東海道が太古からの幹線道路を活用したように、すでに秀吉が整備した道があるのだから活用しようと考えたのでしょう。

 しかし人々は、東海道五十三次の西の起点・三条大橋から先には行こうとせず、やがて東海道五十七次は忘れられていったのです。

三条大橋には、御所に土下座する石像もある

三条大橋から見える「三条河原」は有名な処刑場だった

  せっかく大坂まで伸ばしたのに、なぜ東海道五十七次は栄えなかったのでしょう。そのヒントは、ぷっつりと人の流れを止めた三条大橋にあります。実はこの三条大橋からは、秀吉の時代に「三条河原」と呼ばれた処刑場がよく見えるのです。

三条大橋から見える三条河原。(京都フリー素材写真)

 三条大橋は天正18年(1590年)、豊臣秀吉が京の石柱の整備を行ったときに改修された橋です。その後、近隣の川岸は「三条河原」と呼ばれ、処刑やさらし首の場とされました。歴史上の人物の処刑やさらし首も、ここで行われています。

・文禄3年(1594年)、石川五右衛門が「釜茹での刑」に処せられた。
・文禄4年(1595年)、豊臣秀次がさらし首にされ、その首の前で妻子侍女など39人が三条河原で処刑された。川が血で真っ赤に染まったと伝えられている。
・慶長5年(1600年)、石田三成が六条河原で斬首刑にされた後、三条河原でさらし首にされた……。

 興味深いのは、幕末に新選組の近藤勇のさらし首も三条河原で行われたこと。池田屋騒動が近くで勃発したという事情もあったのかもしれませんが、江戸時代になってもずっと「さらし首=三条河原」といった構図が残っていたことになります。

 そんな処刑場が丸見えの三条大橋を、果たして江戸時代の人は喜んで渡ることができたでしょうか。なんとなく避けたくなるのが人情というものではないでしょうか。

処刑された人たちのご冥福を祈って・・・

家康は、人々を秀吉から遠ざけたかったかも

 ここに、家康の「流れを変える」作戦が見えてきます。

 東海道五十三次の最後の宿場「大津」から京都へ入る道は、三条大橋を経由するよりも、むしろ「五条大橋」の方が便利だからです。しかも、五条大橋は三条大橋と同時期に秀吉が整備した橋で、改めて考えればなぜわざわざ三条大橋を選んだのか不思議です。

 現に、東京と大阪を結ぶ現在の東海道「国道1号線」は、大津から五条大橋を通って大阪に至っています。五条大橋には処刑場などなく、古くから清水寺参拝の道として人々に親しまれています。

 さらに、源義経と弁慶が出会ったロマンチックな伝説も語り継がれているので、東海道五十三次の西の起点が五条大橋だったら、江戸から来た人々は観光気分たっぷりに、この橋を目指したことでしょう。そして、その先にある東海道五十七次も栄えたかもしれません。

 ちなみに、東海道五十七次のベースとなった「京街道」には、大坂と伏見を結ぶ「鳥羽街道」と、大坂と伏見を経て五条(!)に至る「伏見街道」の2ルートがあったと記録されています。つまり、三条大橋を通る理由はどこにもなく、むしろ五条大橋の方が理にかなっているのです。

 それでは、なぜ家康は東海道五十三次の西の起点を、わざわざ三条大橋にしたのでしょうか。

 ここからは確証はなく推測ですが、もしかしたらこれは、人々に秀吉の悪いイメージを刷り込む作戦だったのではないでしょうか。三条大橋に来れば、嫌でも残忍な処刑を思い出し、「なんとなく避けたくなる心理」が働いてしまいます。

 実は、家康が秀吉を遠ざける工夫をした痕跡は他の場所にも残っています。たとえば京都の智積院はもともと秀吉の子・鶴松を弔うために建立された寺でしたが、秀吉亡き後、家康が根来寺を移築し、名も改めて仏教研学の道場として栄えたと伝えられています。その際、近くに建てられた秀吉の墓へ行けないよう、道をふさいだと伝えられています。

 家康にとって、秀吉は嫌で仕方ない目の上のタンコブだったのでしょう。その気持ちが、誰もが“なんとなく避けたくなる”三条大橋を、西の起点にさせたのかもしれません。

処刑場はイヤにゃん

「なんとなく避けたくなる心理」は活用できる!

 この「なんとなく避けたくなる心理」は、「プロジェクトの見直し」にも活用できるかもしれません。なんといっても、データも理論的な裏付けもまったく必要ないのですから。

 たとえば、うまく進まないプロジェクトの舞台で昔、人の命にかかわる事件がなかったか調べてみましょう。人が営んでいた場所には必ず、命にかかわる物語があるものです。それが特に珍しくない病死や動物の逸話だったとしても、プロジェクトに関連したストーリーとして語ればいいのです。

 「新しいマンションの建設予定地は住民の反対に遭ってなかなか進みませんが、実は昔、この場所に住んでいた人が不治の病で苦しんだ後、無念の思いで亡くなったらしいのです。地元の反対を押し切って建てたとしても、入居する人はいないかもしれません。今、ここで見直した方が得策だと思います……」といった感じです。

 ポイントは、「なんとなく聞いた話」に留めておくことと、あくまで個人的な意見として、怪奇現象をにおわすストーリーを語ることにあります。「無念な想いで亡くなった」という言い回しも、もっともらしいのですが、よく考えれば病気で亡くなる人は、大概が無念なはずだとわかります。こういったニュアンスを交えながら、絶対に明確な話にしないで、相手に「なんとなく避けた方が無難」と思わせるのです。

 ここで押さえておきたいのが、あなたが「見直した方がいい」と思っているプロジェクトなら、上司もスタッフもどこかで「中止した方がいいかも」と思っているはずだということ。チームで取り組むビジネスにおいて、一人だけが違和感を抱くことはないはずです。だからこそ、その心理を「誰もが納得する理由」をもって突けばいいのです。もしかしたら、誰かが理由を作ってくれるのを待っているかもしれません。

 いったん誰もが納得したなら、後は勝手に流れがかわって、思惑どおりプロジェクトは見直しの方向へ向かうでしょう。

 いずれにしても、天下人の家康でさえ「なんとなく避けたくなる心理」を利用して秀吉が治めていた世の中の流れを変えたのです。私たちも活用しない手はありませんね。



【参考資料】
 ・京都市「京都観光ナビ」ウェブサイト
 ・国土交通省「東海道」解説ウェブサイト
 ・新版・完全「東海道五十三次」ガイド(東海道ネットワークの会/講談社) など

(nikkei BP net 2016.6.27掲載)