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column 京都「人生がラク」になるイイ話

ハロウィンよりスゴイ!
京都の巨大仮装イベント「時代祭」ヒットの秘密

100年以上も前に成功していた仮装イベント

 今日10月31日はハロウィン。最近、急に日本に浸透したシーズンイベントなので、この商機を逃すまいと「ハロウィンイベント」を企画したビジネスパーソンも多いと思います。

 そこで今回は、つい先日の10月22日に開催された京都三大祭のひとつ「時代祭」を深掘りしたいと思います。というのも、「時代祭」は毎回約2000人もの人々が京都が都だった約千年間の歴史を振り返りながら、それぞれの時代の人物に扮して都大路を練り歩く壮大な歴史絵巻だからです。つまり100年以上も前から、ハロウィンよりスゴイ“仮装イベント”に成功していたわけです(京都市民の皆さま、不躾な表現をお許しください)。

 なので、ハロウィンを機に「時代祭」ヒットの秘密を探りたいと思います。特に次の2点については、現代のビジネスに役立つ要素がありそうです。

時代祭の風景

(1)時代祭は121年前に始まった、京都としては新しい祭なのになぜ「京都三大祭」に加えられたのか。  
「100年前なんてつい最近。京都で昔とは応仁の乱くらい前のこと」といわれるほど歴史の観念が深い京都の人々に「三大祭」として認められているのはなぜでしょう。他の京都三大祭(祇園祭、葵祭)は千年以上の歴史を誇っており、京都には他にも歴史深い祭がたくさんあるのにもかかわらず、時代祭が三大祭に選ばれたのには、深い理由がありそうです。

(2)100年以上も前から毎年(戦争等で中断した年を除く)、どうやってこれほど多くの“仮装できる日本人”を集めることができたのか。  
最近、コスプレイヤーが増えてはきたものの、元来、日本人はシャイな国民でした。しかし、時代祭では老若男女あらゆる年代の人々が堂々と仮装して都通りを練り歩いています。しかも約2000人もの人々が乱れなく、整然と列をつくっているのです。いったい何がこれほど多くの人々を動かしているのでしょうか。

 あなたも知りたいと思いませんか? 早速、歴史から深掘りしてみました。

武士たち

「時代祭」に込められた京都市民の熱い想い

 まずは歴史的に新しい祭なのに、なぜ「京都三大祭」に数えられているのか、その背景から解明していきましょう。

 時代祭は1895年(明治28年)に始まりました。平安遷都1100年を記念して、その年に創建された平安神宮の祭で、今年で121年目になります(途中、戦争などによって中止された年もあります)。

 これに対し、同じ京都三大祭の「祇園祭」は869年(貞観11年)を起源に約1100年の歴史を誇ります。「葵祭」については起源も「賀茂御祖神社と賀茂別雷神社の例祭が起源で平安時代にはもう始まっていた」としか言えないほど古い歴史があって、京都最古の祭といわれています。

 このように歴史の長さだけを比べれば、時代祭は他の二つの祭りよりもおよそ1000年も新しい祭ということになります。それなのに歴史感覚の深い京都の人々が時代祭を「京都三大祭り」としたのはなぜなのか……。歴史をひもとくと、そこには、筆舌に尽くしがたい京都の辛い歴史と、京都市民の切なる想いが見えてきました。

 幕末から明治維新にかけて、京都では多くの戦乱が繰り返されました。薩摩の西郷隆盛、土佐の坂本龍馬、朝敵とされた長州藩も京都に集まり、幕府を守る新選組、さらには最後の将軍・徳川慶喜までもが江戸ではなく京都にいて、京都を舞台に争い続けたのです。

 なかでも1864年(元治元年)京都御所の蛤御門で勃発した「蛤御門の変(禁門の変)」では、幕府軍に敗れた長州藩が京都の町に火をつけ、町中が焼き払われてしまいました。京都に住む人々は、時代の波にのまれて大変な目に遭わされ続けたのです。「これも都だから仕方のないこと」と、当時の人々はそう思って耐えたことでしょう。京都は都であるがゆえに「応仁の乱」や戦国時代の争乱など時代が変わるたびに、大きな戦乱の舞台になっていたからです。

 しかし、明治維新でまさかの東京遷都が行われ、天皇が京都を去ってしまったのです。このときの京都の人々の気持ちを考えるといたたまれません。町を壊された上に首都の座まで奪われたのです。心身ともにボロボロだったのではないでしょうか。

 そんな中で人々は「こんなことで京都を潰してはならない」と一丸となって京都の復興事業を行いました。その分野は教育、文化、産業、ライフラインの構築など、さまざまな分野に及んだそうです。

 その事業が完成したころ、平安遷都1100年を迎えたことを機に「新しい京都」の象徴として平安神宮が創建され、時代祭が始まりました。つまり、平安神宮と時代祭には京都市民の熱い思いが込められているのです。

 平安神宮の公式サイトには、「時代祭」について次のように説明されています。

 時代祭は、平安神宮の創建と平安遷都1100年祭を奉祝する行事として、明治28年に始まりました。明治維新によって著しい衰退を見せた京都の町おこし事業の集大成として平安神宮が創建され、そこに寄せられた人々の熱意の象徴として、まったく同じ意志のもとに創始されたのが時代祭です。

その意志は、京都の誕生日10月22日に「一目で京の都の歴史と文化が理解できるものを」「京都をおいて他にはまねのできないものを」というもので、京都人の心意気と誇りがふんだんに織り込まれています。(平安神宮公式サイト「時代祭」より抜粋)

平安神宮へ向かう行列

京都市民だけで構成する約2000人の仮装行列

 その熱い思いを裏付けるように、時代祭の約2000人の大行列は京都市民だけで構成されています。言い換えれば、京都市民でなければ時代祭には参加できないのです(京都の大学に通っている大学生についてのみ、アルバイトで参加可能)。

 仮装した老若男女が整然とまとまり、2000人もの人々が列を乱す素振りひとつ見せない背景には、そんな京都市民の「京都を守りたい」という熱い思いがあったのです。

 また、121年もの間、戦争で一時中断しても復活した背景には、京都市民が次世代に伝えたいストーリーがあるのです。

 2kmに及ぶ時代祭の巨大な仮装行列は、平安遷都の日(京都の誕生日)である10月22日に京都御所を出発し、「新しい京都」の象徴「平安神宮」までの都大路を練り歩きます。京都が都だった千年間の時代をひも解くように、明治維新を描く「維新勤王隊列」「維新志士列」から始まり、江戸時代の「徳川城使上洛列」「江戸時代婦人列」、安土桃山時代の「豊公参朝列」「織田公上洛列」、室町時代、鎌倉時代、平安時代と続きます。

 この京都の“千年の都ストーリー”は、一目でわかる仮装という手段によって、次世代にも世界にも伝えられるのです。

 時代祭が「日本三大祭」に数えられる意味も、100年以上も前からたくさんの人々が仮装して都大路を歩いた理由もよくわかりました。

戦国武将

牛も練り歩き

自分たちの想いは、自力で伝える

 この時代祭の歴史と演出には、人を動かす3つの極意が秘められています。

1.目的とビジョンを掲げて、スタッフの意識を統一

たとえば「なんとなくハロウィンだからイベントしようか」と周りに流されるのではなく、何のためにイベントをするのか、何を目指すのかを明確に掲げることで、人をひとつの方向に動かすことができるのです。経営の極意と同じですね。

2.自分たちの想いは、自力で伝える

たとえば「一般参加型イベントが人気だから、たくさんの人に参加してもらえるイベントを企画しよう」と考えるのではなく、自分たちの思いは自力で伝えることを考えなければ、他人に頼っていては何も伝わらないということです。改めて考えれば当然かもしれません。

3.一目でわかるビジュアルで伝える

最後に、誰もが一目でわかるビジュアル演出を施すことで、多くの人々の注目を集めることができます。つまり「ハロウィンだから仮装しなければ」ではなく、「イベントの目標を果たすために一目で伝わるビジュアルを考える」という思考回路が必要です。特に現代はインターネットの影響でビジュアル化は、必須といえるでしょう。

 このように考えると、「日本人はシャイだから仮装イベントに集まらない」とか「ハロウィンだからイベントしなければ」といった、周囲に流されるような考え方では成功しないことがよくわかります。

 そういえば、徳島の阿波踊りも、青森のねぶた祭りも、日本に古くから伝わる伝統の祭には必ず、歴史的な目的とビジョンがあり、一般参加者はほとんど参加できません。しかし、どの祭にも人があふれ、「一目見たい」という人が海外からもやってきます。

 先日の時代祭も、行列の沿道は外国人観光客でいっぱいでした。武士に扮した男性や、十二単を着た女性の写真を撮影しながら「ビューティフル!」「ブラボー!」といった声があちこちから聞こえてきました。

 目的とビジョンを伴った熱いメッセージはビジュアル化という万国共通のツールを通じて人を動かすのです。日本の祭にこそイベント成功の極意あり。この機会に心にとめておきたいものです。

和宮さま

【参考資料】
 ・「京都の神社と祭り」(本多健一著/中公新書)
 ・平安神宮 公式サイト 観光パンフレット
 ・(公社)京都市観光協会 公式サイト「時代祭」 ほか

(nikkei BP net 2016.10.31掲載)