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column 京都「人生がラク」になるイイ話

「哲学の道」を
日本屈指の“小道”に変えた恐るべきイメージ戦略

 ビジネスパーソンにとって、売れないモノを売る仕事はイヤなものです。そもそも何の変哲もないモノなのに、上司からは「売れないのは、そもそも努力が足りないからだ」と怒鳴られ、取引先からは「こんなの、どうしようもない」と突っぱねられ……それだけでも凹むのに、ノルマまで課せられたら、たまったものではありません。

 そこで今回は、何の変哲もないモノを売る手法を、京都の「哲学の道」から学びたいと思います。というのもこの「哲学の道」、今ではとてもロマンチックなイメージが定着していますが、実は明治時代に整備された「琵琶湖疏水」の“何の変哲もない”管理用道路だったのです。

 ところがその後、ある“必殺技”を駆使した結果、国内外から観光客が押し寄せて「日本を代表する観光の道」に変貌しました。今では道沿いにオシャレなカフェや雑貨店も点在しています。

 いったい、どんな必殺技を使ったのでしょうか。さっそく独自の視点で歴史をひも解いてみました。

人がそぞろ歩く「哲学の道」

哲学者が歩いた!

 繰り返しますが、哲学の道はもともと1890年(明治23年)、琵琶湖疎水が完成した際に設置された管理用道路で、当初、観光的な要素はまったくありませんでした。

 琵琶湖疏水とは、幕末にボロボロになった京都を復興する目的でつくられた疏水です。特に1864年(元治元年)に起こった「蛤御門の変(禁門の変)」で京都市中の大半が焼き払われた上に、明治維新と同時に東京遷都が行われ、京都に住む人たちの心も荒れ果ててしまったため、琵琶湖の水を町中に引き込み、灌漑や上水道、水運などを整えることで京都に新しい産業を興し、まちを活性化しようと約30年にわたる大工事が行われたのです。

 結果、京都は琵琶湖の水で潤いと活気を取り戻しました。具体的には水道が整備され、水力発電で京都市電も走るようになるなど、ライフラインや交通網が整備されたことで、産業振興へ大きく貢献したのです。京都の近代化はこの琵琶湖疏水なしでは語れなかったでしょう。

 そんな中で、琵琶湖疏水の管理用に整備された道の近くには、多くの文人が住むようになりました。近くに京都大学があり、永観堂や銀閣寺などの名刹も近い静かな場所であることから、おのずと文人が集まってきたのでしょう。

 つまり、京都大学に近くて静かなところに、京都大学に通う文人たちが住み、周りを歩くのは当然だともいえるのです。その中に著名な哲学者・西田幾多郎や田辺元らがいたのも自然だと思います。

 しかし、地元の人たちはそれを見逃しませんでした。「文人が歩く道」に“特別な道”という付加価値をつけたのです。

俳人・高野素十の句碑

「哲学の小径」「散策の道」「思索の道」「疏水の小径」そして……

 地元の人たちは、哲学者の西田幾多郎や田辺元らが歩く姿を見て、「哲学者が思案を巡らせながら歩いている」とロマンチックなストーリーを展開し、「哲学の小径」「散策の道」「思案の道」「疏水の小径」といった名前で琵琶湖疏水を表現するようになりました。

 そして1972年(昭和47年)、地元の人々が琵琶湖疏水の管理用道路の保存運動を進めるに際し、名前を「哲学の道」と決めたのです。それだけではありません。1981年(昭和56年)、道の中ほどに鎮座する「法然院」の近くに、西田幾太郎が詠んだ歌「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」を刻んだ石碑を建てたのです。

 なんと素晴らしい仕掛けでしょう。有名な哲学者が歩きながら考えたことが、たとえ「今晩どんなおかずを食べようか」とか「夫婦喧嘩でどちらが先に謝るか」など庶民的なことだったとしても(あくまで例え話です)関係ありません。「哲学の道」と名付けられ、歌の碑が建てられた時から、「哲学者が思案を巡らせながら歩いた道」とイメージは固定したのです。

琵琶湖疏水の分水添いに散策路が整備された。

「日本の道100選」にも選ばれる

 環境や肩書が人をつくる、と言いますが、この道も「哲学の道」と名付けられたことで一転、観光名所への道を突き進みます。

 1972年(昭和47年)、道は砂利道の散策路として美しく整備され、1987年(昭和53年)には市電の軌道敷石を転用して、歩行者が歩きやすいように敷石が並べられました。さらに道沿いには約450本の桜が植えられ、毎年春には「桜が咲き乱れる散策路」として注目を集めるようになりました。

 さらに、1987年(昭和62年)8月10日の道の日に、「哲学の道」の起点である若王子橋から終点の銀閣寺橋までの約1.5km区間が、「日本の道100選」の一つに選定されたのです。

 まとめると、京都大学の有名な哲学者が歩いたことから、「哲学の道」と名付けられ、歌の石碑がつくられ、そのイメージを演出するための整備が行われて、「日本の道100選」の太鼓判まで押されたということです。

 その後、「哲学の道」はマスコミに注目されて、京都の観光名所として定着し、JRなどの観光キャンペーンでも大々的にPRされました。このときすでに、この道を「琵琶湖疏水の管理用道路」と呼ぶ人はほとんどいなくなったのです。見事なイメージ戦略といえるでしょう。

道沿いに植えられた桜。春に満開の花を咲かせる。

“肩書き”はないか? 売れるストーリーを探そう

 この「哲学の道」の歴史からは、売れないものを売るポイントが読み取れます。

 そう。京都大学の有名な哲学者が歩いたことを生かして「哲学の道」と名前をつけたように、何の変哲のないモノにも、「売れるストーリー」を発掘して、そのストーリーを彷彿する名前をつくって、それらしい演出を施し、広くPRすればいいのです。

 たとえば、長い間売れなくて困っている古い建売住宅があったとしましょう。まずは、その家のストーリーを発掘しましょう。近くに大学や名刹はありませんか? なかったら普通の学校でも、地元のお寺でも構いません。きっと何かがあるはずです。

 その“何か”が見つかったら、そこにはこれまでどんな人が訪れたか調べてみましょう。深く関わりがなくても「近くを通ったことがある」くらいの地元出身者で構いません。できるだけ、故人となっている人がいいでしょう。今もご存命の場合、お名前を拝借することで「契約金」などが発生するケースがあります。お金をかけてしまうと「お金の切れ目が縁の切れ目」になり、ストーリーを長く語れなくなります。

 最も理想的なのは、江戸時代や明治時代の偉人です。戦国武将でも説得力があります。全国的に有名でなくても“肩書”があれば構いません。きっと誰か見つかるはずです。

 人を選定できたら、「哲学の道」をお手本にストーリーを紡いでみましょう。たとえば、「この古い家の近くで、明治維新に活躍した人が思案した」みたいな話です。人間誰もが「思案」しますから嘘ではないはずです。

 ストーリーができたら、その物語を解説した看板を家の玄関あたりに建てましょう。「明治時代に貢献した地域の偉人 思案の場」といった感じです。同時にそれっぽく建売住宅を改装したり、花を植えたりする演出を忘れてはなりません。ストーリーを彷彿できるよう、“ビジュアルを整える”のです。これで古い家はたちまち、歴史的な家屋として生まれ変わることでしょう。

 ここで総仕上げです。できれば地元のメディアに情報を発信して、ドラマチックに取り上げてもらいましょう。その内容をネットで拡散し、広告にも活用すれば、そのうちその家屋はいつのまにかスゴイ歴史的な家になっていくに違いありません。

 価格もそれに応じて高く設定しなければなりません。そうすれば歴史好きでお金持ちの熟年紳士が別荘に購入するなんて可能性も出てきます。

 なんだかワクワクしませんか?

 要は人が生活している場所には必ずストーリーがあり、そのストーリーを上手に生かすことで何の変哲もないモノがヒット商品に生まれ変わるということです。ぜひ、試してみてください。

「哲学の道」に住み着いた人気者

【参考資料】
 ・「哲学の道」京都市観光ナビ公式サイト
 ・「日本の道100選」国土交通省サイト
 ・「西田幾太郎 歌集」(上田薫/岩波文庫)など

(nikkei BP net 2016.11.28掲載)